天、菩薩、明王、如来Ten, Bosatsu, Myo-ou, Nyorai

国宝 帝釈天(たいしゃくてん)坐像 平安時代 木造彩色

– 天 –
持国天じこくてんの気迫

国宝 持国天立像 平安時代 木造彩色

東から講堂に入ると、最初に出迎えてくれるのが、持国天。
増長天ぞうちょうてん広目天こうもくてん多聞天たもんてんとともに、四天王と呼ばれる守護神です。

須弥壇しゅみだん、東側の梵天ぼんてん、西側の帝釈天たいしゃくてんを加えた六尊の守護神が、講堂の十五尊の如来、菩薩、明王を守っています。

仏教では、天は、人間と仏の間に存在します。
地獄、餓鬼がき畜生ちくしょう阿修羅あしゅら、人間、天、声聞しょうもん縁覚えんがく、菩薩、如来という、心の状態を表した、十界じゅっかいのなかにあります。

国宝 梵天(ぼんてん)坐像 平安時代 木造彩色

– 菩薩 –
仏の教えを実践する者、それが菩薩

左・国宝 金剛法菩薩(こんごうほうぼさつ)坐像 平安時代 木造漆箔
右・国宝 金剛波羅蜜多菩薩(こんごうはらみったぼさつ)坐像 室町時代 木造漆箔

おだやかな表情をしているのが、密教の仏さま、金剛波羅蜜多菩薩こんごうはらみったぼさつを中心にした五大菩薩ごだいぼさつ。悟りを求める者の姿です。

十界では、天の先、声聞、縁覚、菩薩、如来が悟りの領域です。声聞は、真実の声を聞こうとする心の状態をいい、縁覚はすべてのものを縁として悟ろうとする心の状態をいいます。

そして菩薩とは、仏の教えを実践する人をいいます。母親が子供に対して無償の愛情を注ぐ、見返りのない、その心が、菩薩の心だといわれています。

国宝 金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)坐像 平安時代 木造漆箔

– 明王 –
わが国最古の不動明王が語るもの

国宝 大威徳明王(だいいとくみょうおう)坐像 平安時代 木造彩色

座して剣を持つ不動明王。思わず息を止めてしまうほどの迫力です。 忿怒ふんぬの形相、右手には宝剣ほうけん、左手には羂索けんさくをにぎり、真っ赤な火焔かえんを背負っています。

何本もの手や足、いくつもの目をむいた四尊の明王たちが、不動明王を囲んでいます。これが五大明王。恐ろしい姿ですが、れっきとした仏さま。大日如来の化身けしんです。

剣に注目してください。持国天の剣は、片刃。対峙する人に向けられています。一方、明王の剣は、諸刃もろは。刃は外に向き、内に向いています。明王は命がけで人を救おうとしています。救われようとする人も命がけで向かわなくてはいけない、と、剣は示しています。

国宝 不動明王(ふどうみょうおう)坐像 平安時代 木造彩色

– 如来 –
すべてが、大日如来の化身

講堂の中心でひときわ、輝きを放っているのが、大日如来です。大日如来は、智拳印ちけんいんという印を結んでいます。これは金剛界の大日如来の印。いっさいのものを大日如来の智慧で包み込むという意味を示しています。

その周りを阿閦如来あしゅくにょらい宝生如来ほうしょうにょらい阿弥陀如来あみだにょらい不空成就如来ふくうじょうじゅにょらいが囲んでいます。これが五智如来です。

如来は悟りを得た状態を表しています。そのため服装は簡素。しかし、大日如来だけ、菩薩のように宝冠ほうかんをかぶり、着飾っています。それは、あるときは菩薩となり人々を導き、あるときは不動明王となり命がけで救う、積極的な姿を表しています。

明王も菩薩も、すべての仏が大日如来の化身。仰ぎ見る私たちもまた、生きながらに仏となれると、伝えているのです。