重要文化財 講堂
室町時代(延徳3年/1491年) 入母屋造 本瓦葺
ここは、秘密の仏教の入口。
弘法大師空海が伝えたかった、
密教の教えを表しています。
講堂の中心は、寺域の中心。
そこに安置された大日如来は、
宇宙の中心とされています。
東寺の中心、
つまり密教の中心的建物
境内は、東西255メートル、南北515メートルの長方形。その寺域のなかで大伽藍が建っているエリアは、東西南北とも255メートルでほぼ正方形です。その中心に講堂は位置しています。
国立の寺院だった東寺を託された弘法大師空海は、人生のすべてを注いで、密教という教えを伝えようとしました。その中心的な建物として位置づけたのが講堂です。
弘法大師絵巻 講堂起立
工事は、弘仁14年、823年にはじめられ、16年後の承和6年、839年に完成。当時は、講堂と金堂の周囲を廻廊(かいろう)が巡りふたつの大伽藍(だいがらん)をつないでいました。
しかし、文明18年、1486年に金堂、南大門などとともに焼失。金堂が桃山時代、南大門が江戸時代に入ってからようやく再建できたのに対し、講堂は焼失より5年後に、最優先で再建されました。それが、いま、私たちの前にある講堂です。
弘法大師空海が
護摩を焚いた跡だろうか
平成12年、2000年に行われた諸尊の修理の時、驚くような発見がありました。須弥壇(しゅみだん)の下から、薄い木を焼いた跡が発見されたのです。
講堂の基礎工事が終わり、須弥壇の基礎ができあがった段階で弘法大師空海が、鎮壇(ちんだん)の意味で、護摩を焚いたのではないかとも、いわれています。